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  • >年間1000万人を集客し、伝説となった“賑わい施設” 。「サンストリート亀戸」の思い出を振り返る①

亀戸の空は青く、美しい。いや、空は世界中のどこから見ても美しいだろう。

そんな、青く美しい大きな空の下で、なんだか大掛かりな工事が行われている風景があった。

とある日の亀戸の様子だ。

 

実に敷地面積2haを超える広大な土地を、多くの重機が行き交い、忙しなく働いている。

この規模の工事現場を俯瞰で見ると、まるでジオラマ模型でも眺めているかのような感覚だ。

これは一体、なんの工事なのか? この地にはかつて、何があったのか?

 

その工事の様子をなんとも言えない表情で見つめる一人の男がいる。

当メディア、カメイドタートルズの我らがキャプテン、会田博だ。

会田はカメイドタートルズのキャプテンであり、そして、「サンストリート亀戸の元館長」である。

【会田博(あいだひろし)プロフィール】1950年生まれ。明治大学 商学部卒業。旧第二精工舎に入社後、経理、経営企画、秘書、不動産部。販社社長を歴任。

その後、2000年よりサンストリート亀戸の運営会社である「株式会社タイムクリエイト」社長に就任。2010年からはワイサポート株式会社の社長に専任となる。

著書に「サンストリート500(共著:北山創造研究所)」、「現場人主義(共著:北山創造研究所)」がある。

カメイドタートルズ、会田キャプテンからのメッセージはこちら

 

サンストリート亀戸とは?

 

サンストリート亀戸とは、かつて亀戸に存在した商業施設(ショッピングセンター兼イベント会場)である。略称は「サンスト」。

ただ、そのサンストの総合プロデュースを手掛けた北山創造研究所は、あえてサンストリート亀戸のことを“商業施設”ではなく“賑わい施設” と定義している。

そう。サンストはただの“商業施設”とは一線を画すプロジェクトだったのだ。

 

とにかく読者の皆様に伝えたいのは、サンストは革新的でめちゃくちゃすごい施設であったということだ。

サンストは

「亀戸内外問わず、たくさんの人々に愛された施設」 であり
「年間1000万人を超える来場者数と180億円超に及ぶ売上高を10年近く維持した施設」 であり
「歌手やアイドルの登竜門」 であり
「テクノポップユニット、Perfumeの聖地」 でありながらにして…

 

多くの人々から愛され、惜しまれながらも、とある理由から取り壊しとなったのである。

 

サンスト元館長インタビュー

はてさて。ここまで読んでみていかがでしょうか?

もっとサンストのことを知りたいと思いませんでしたか?

世界のPerfumeと亀戸が結びつくなんて、思ってもみませんよね?

 

すべてが謎のベールに包まれた伝説の施設「サンスト」について、サンスト元館長の会田キャプテンにお話を伺ってみたいと思います。

 

–会田キャプテン。本日はよろしくお願いします。

(会田キャプテン)
よろしくお願いします。

 

–まず、手始めにお聞きしたいのですが、どうして亀戸にサンストが誕生したのですか? 立川とか武蔵小杉に作るべきタイプの施設では?

(会田キャプテン)
順を追って話しましょう。まず、現在工事中である亀戸のこの広大な敷地。ここにはかつて、セイコーグループの一社であるセイコーインスツルメンツ(旧名:第二精工舎)の工場と本社があったんです。

 

–セイコーって、あの時計とかでめっちゃ有名な世界のSEIKO?

(会田キャプテン)
はい。その工場がこの亀戸の敷地にあったのですが、国内外各地への展開が進んで、本社が幕張新都心へ移転となったために、この土地の再開発が必要となりました。

当初の計画では超高層オフィスビルが建つ予定だったのですが、そのタイミングでバブルがはじけて再検討となったんです。色々と考えた結果、時代の変化が大きいということに加え、長年この地で工場を続けてきたことに対し、地域住民の方々に恩返しをするという想いも込め、中期利用を前提とした商業施設を作ることになりました。

企画構想には北山孝雄先生(北山創造研究所)が入り、「敷地中央部分を広場にする」という、当時としては斬新なアイディアによってサンストは作られたんです。

そして、この広場の存在こそが、サンストが繁栄するための大きなカギとなっていくんですね。

 

–なるほど、そういう理由で作られた施設なんですね。広場の話がものすごく気になりますが、そもそも会田キャプテンはなぜ、そこで館長となったのですが? 施設運営の実績があったとか?

(会田キャプテン)
いいえ、まったくの畑違いです。

当時、サンストを運営していたのはセイコーからの出向者を中心にして作られたタイムクリエイトという会社で、私も元々はセイコーの社員でした。当然ですが、こういう施設の運営に関しては全員、素人なわけですよ。

私も先代の社長から指名を受けてタイムクリエイトへ異動となり、サンストのプロジェクトに参加したわけですが、右も左もわからない状態からのスタートでした。ですが、今思うとですね、この運営に携わる人間が素人だったというのが逆に良かったのかもしれません。

 

–ふむふむ。素人が運営したことで良かった点があったわけですね?

(会田キャプテン)
サンストが大成功した理由として、「イベント」と「テナントとのパートナーシップ」の2つがまず、挙げられると思います。

そのどちらもが、いわば「サンスト流」というような独自のやり方だったのですが、成功を収めて評価されることになるのは後々の話で、当時の私たちが何を考えていたかというと、「とにかく、まずは自前でやってみる」ということでした。

素人なのでなにもわからない、なにも決まってない。だから、とりあえず現場に出る。そこでテナントの方々やサンストに来てくれる方々と向き合い、生の声を聞き、試行錯誤しながら運営を続けていくことで、ノウハウを貯めていきました。素人だからこそ、とにかくなんでもチャレンジしてみるという発想だったのですが、これがどうやら功を奏したようです。

 

–なるほど。それでは、成功した秘訣について、それぞれ掘り下げていきたいと思います。先ほど広場の話がありましたが、イベントは広場で行われていたのですか?

(会田キャプテン)
はい。開業当初から地域の皆さんを中心に沢山の方々に来ていただきましたが、広場の存在というのは集客に大きく影響したかと思います。

開業当時(1997年11月)の亀戸という地域は住工混在する下町で、密集地でした。快適にのんびり過ごせる場所というのが少なく、街角には公園もありましたが、安全面と衛生面でまだまだ問題も多い時代だったんです。そんな時に誕生したサンストの広場は、気楽にノンビリと過ごせる空間として、お年寄りから子供まで、憩いの場としてものすごくニーズがあったんですね。

広場のおかげで、購買者ばかりが集まる施設ではなく、公園機能としても非常に優れた空間となったのだと思います。

そんな状況の広場がありましたから、サンストは開業当初から、一般的な商業施設と比べても高い頻度でイベントを行っていたんです。しかしながら、素人の我々はイベントに関して外注で行っていたため、お客様の反応もつかみにくく、ノウハウも残りませんでした。

そこで、2年目からイベントの内製率を高めていき、3、4年目にはほぼ全てのイベントを自社管理で運営するようなやり方に変えていきました。

 

–それはすごいですね。イベント運営とか、やることが多すぎて素人には難しそうですが。

お客さんに対し、どこまでやれば十分なのか。どんなイベント、どんなパフォーマンスがウケる、ウケないということが最初はわかりませんので、いっそのこと「可能な限り、広範なイベントに取り組もう」という考えで、どんどんイベントの数を増やしていったのです。公序良俗に反せず、政治や宗教に偏向しないものは、とにかくなんでも積極的にやっていこうと。

当時、サンストのような施設で女子プロレスの開催が行われたのは初めてのことだったかと思われます。

そういった試行錯誤の結果、やがて「サンストといえばイベント」と言われるほどの評判を集めるようになっていったのです。

 

–イベントがとにかくヒットしたんですね! そういえば、サンストといえばアイドルや歌手の登竜門…

 

 

 


(謎の男)
その件に関しては、私からお話をしましょう!!

 

 

 

–え!? 誰ですか!?

 

 

 

次回予告

インタビューの最中に突如として現れた、謎の男。

話の流れ的になんとなく、サンストのイベント運営に関係がありそうな人物だが…

そういえば、たしかサンストはPerfumeの聖地という情報があったはず!?

ということは、もしかしてこの男の正体とは!?

<次回へ続く>

Edit by カメイドタートルズ編集部