彼の名は亀助。由緒ある武家の者でもなければ、名のある剣豪でもない。どこにでもいる無名の武士だ。
しかし、いずれ日本全土に名を馳せるべく、日々の鍛錬を欠かさない・・・。
「さて、3日ぶりの鍛錬をするでござる!」
訂正、亀助はサボりがちだった。
振りかぶった刀の峰が頭部に直撃。とても鈍い音が響いた。素振りで、しかも自分の刀で気を失った事実に、自分の実力のなさを痛感する亀助であったが、それ以上に心配なことに気が付いた。
気がつくと、そこは見慣れない鳥居、木々の隙間から垣間見える鼠色の城。自分の家ではないことは一目瞭然だった。
「うう・・・。気が付いたのはよいが、見慣れぬ場所で目を覚ましてしまったでござる」
亀助の前にはお稲荷さんがあった。小さな社ではあるが、どこか大きな力を感じる・・・ような気がした。
「なんだか、周りが騒がしいでござるな」
いつまでも、呆けているわけにはいかない。辺りを散策することにした。見慣れた文字や人々の会話から、ここが日本だということは理解できた亀助。しかし、自分の知っている日本との違いに戸惑いを隠せなかった。
「亀戸・・・。拙者が住んでいたのも亀戸町だったでござるな。つまり場所は同じということでござるか・・・?それにしても先程からしている唸るような音。一体なんでござるか」
現代では見慣れた自動車。しかし、亀助にとっては初めて目にする奇妙な物体だ。電柱、ガードレール、アスファルト何から何まで初めて目にするものなのだ。
「なんだ、箱が走っておる!からくりで動いておるのか・・・?とりあえず叩っ斬るべきでござるか!?」
あまりに多い自動車に、戦いを挑む気になれなかった亀助。そして、少し観察し、危害を加えるものではないことを理解した。
「高速で動く箱に、物見櫓よりも高い民家・・・。薄々気が付いてはいたが、ここは拙者の生きていた時代とは違うのでござろう・・・。思うに、随分と先の時代にきてしまったようでござる」
「なにやら鉄の怪鳥も飛んでおる。弓で射れないものか・・・。このままでは晩飯にすらありつけんでござる」
あまりにも変化した現代を目の当たりにした亀助。驚きの連続ではあったが、亀助の中にそれ以上の問題が発生していた。それは・・・。
亀戸の町を散策し、自分がいかに異質な存在なのかを理解したようである。こうして、現代に取り残された亀助は、疎外感と孤独に襲われた。
「孤独というのはこんなにも辛いものでござったか・・・。もういっそのこと切腹して・・・」
心身ともに限界に近づき、絶望に打ちひしがれそうになったその時。一筋の光が差し込む。
「あれはもしや・・・!?」
そこには己を表す、慣れ親しんだ文字が掲げられていた。看板には袴を着て刀を持った男が描かれていた。それは亀助にとって探し続けた仲間だった。
「この時代にも侍がおるでござるか!?これは呼ばれている気がするでござる」
この現代に来てから唯一の馴染める場所ではないかと思い、亀助は吸い寄せられるように足を運んだ。
「何か飲んでいるのを見るに、茶屋でござるな。ここで一服するでござる」
店に入った直後、亀助は抜刀した。それは武士の本能であり、反射行動だった。しかしここは現代、店に飾られていた甲冑を侍と間違えてしまっただけだ。
「何奴っ!?・・・ふむ、ただの甲冑であったか」
「・・・お客様、こちらへどうぞ」
突然の抜刀にも驚かずにカウンターへ通す店主。その落ち着きはまるで武道の師範のようだ。
慣れないロッキングチェアに腰をかける亀助。香ばしい香りに包まれながら店内を見回す。様々な色や形の陶器やグラスに驚きつつも、このお店が茶屋であることを思い出した。
「品書きを見せてはもらえぬか」
「もちろんでございます。こちらがお品書きとなっております」
亀助には理解できないメニューの数々。なにを選べばいいのか見当もつかない。それを見かねた店長が気を利かせてくれた。
「・・・もし迷っているようでしたら、こちらがおすすめでございます」
おすすめされたのは「侍オリジナルブレンド」。店長曰く、看板メニューとして広く飲みやすい味に仕上げているそう。
「ではそれを頼むでござる」
「かしこまりました」
頼んでから数分、目の前に珈琲が運ばれてきた。
「お待たせいたしました。侍オリジナルブレンドでございます」
「かたじけない。この黒い水がおすすめでござるか?馬鹿にしているなら拙者の刀も黙っては・・・」
「珈琲という海外から伝わった飲み物でございます。初めての方でも飲みやすい味わいにしております」
「こぉひぃと申すか。では、いざ尋常に勝負でござる!」
亀助は味について語らなかった。しかし、時に表情は言葉よりも雄弁に語るもの。現代で初めて見せた笑顔は、どこか安堵したような顔に見えた。
ふと横に目を配ると小瓶が置いてあった。どこの喫茶店にも置いてある、珈琲用の砂糖である。
「店主よ、これはなんでござるか?」
「それは砂糖でございます。珈琲の苦味が苦手でしたら入れてみてください」
「いくら払えばいいんでござるか?」
「無料でございます」
砂糖が安く流通し始めたのは近年であり、亀助の時代には考えられないことだった。
次回、茶屋だからという理由で店主にお団子を要求するが、出てきたのは牛だった!?
スポット紹介
スポット名:珈琲道場 侍
住所:〒136-0071 東京都江東区亀戸6丁目57−22 サンポービル 2F
アクセス:JR総武線「亀戸」駅 東口より徒歩30秒
営業時間:8時~24時 日曜定休日
Edit by カメイドタートルズ編集部