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  • >【後編】「水運の町」から発展した亀戸の町 運河と内部河川を巡る今昔物語

江東三角地帯を流れる江東内部河川(以下、内部河川)の歴史を紐解く企画の後編。引き続き、江東区中川船番所資料館の小張洋子さんにお話を伺いながら、亀戸を「水運の町」に発展させた運河と内部河川の歴史を辿ります。

※江東区中川船番所資料館への取材は電話取材にてご協力いただきました。

亀戸を「水運の町」に発展させた運河

今の内部河川の原点となる運河の整備から始まった亀戸の都市開発。江戸時代は小さな漁村だった亀戸ですが、江戸幕府による重点的な開発に加えて、寛文2年(1662)には本所の鎮守の神様として亀戸天神社が創建。江戸庶民から絶大な信仰を集めたスーパースター・菅原道真公(天満大神)を祀る神社が置かれたことが呼び水となり、この街に多くの人が移り住むようになりました。(亀戸天神の歴史は、また別の機会に詳しく迫るとしましょう)

亀戸天神

そうして運河の整備が進むとともに人口も増え、徐々に発展を果たしてきた亀戸の町。

ところで、11ある内部河川のうち、亀戸を通っているのは北十間川、横十間川、旧中川、竪川の4本。中川番所を通過して江戸市中に入るのであれば、運河は現在の小名木川の1本だけでいいような気もしますが、その他の川はどんな役割を果たしていたのでしょう。

舟の“主要道”だった小名木川

「小名木川が市外から入ってきた人や物を江戸の市中に運び入れる“国道”だったとすれば、それ以外の川は江戸の中で取引される物を出し入れする“地方道”のような役割でした。小名木川沿いには『釜屋』という大きな鋳物工場があったり、竪川の川沿いには材木屋があったりと、人々の流入によって産業も盛んになったそうです。その一方で、かつて江戸城近辺にあった幕府の材木蔵や米の倉庫などが隅田川沿いに移され、江戸の入り口という地の利からも当時の亀戸界隈は『物流の街』としても機能していたのです」(小張さん)

荒ぶる川を治めた「荒川放水路」の開削

その後、長らく活用されてきた運河ですが、昭和に入り陸上輸送が発達するとその役割を少しずつ終えていきます。そして、明治以降の重点的な工業化に伴う地下水の過剰な組み上げによって地盤沈下が起こると、かつての運河が水害の恐怖に繋がることが増えてきました。

亀戸水神

享禄年間(1528年〜1532年)には既に亀戸水神が置かれていたことからも分かるように、たびたび起こる荒川の洪水は、この地に暮らす人々にとって長きに渡る悩みの種でした。そのため、江戸の人々は、現在の浅草周辺に「日本堤」を造って江戸市中への洪水の流入を防いだり、堤防や防備林、さらには土を高く盛った避難場所を造ったりと、知恵を尽くして水害の危機と戦ってきたのです。

「洪水との戦いは江戸時代より前からこの土地と切り離せない問題でした。運河のような掘割を作った理由の中には、大雨の水を逃がすという目的もあったのではないでしょうか」(小張さん)

まさしく「荒ぶる川」だった荒川

そして、明治40年(1907)と明治43年(1910)に起こった2度の大洪水は、亀戸の有史上最も甚大な水害を及ぼしたと言い、昭和以降、徹底した治水工事が行われるきっかけになりました。

そうして行われた一大プロジェクトが、明治44年(1911)年に着手された荒川放水路の開削です。昭和5年(1930)まで約20年もの期間におよんだこの大工事では3か所の閘門と7か所の水門を建設。さらに工事中に発生した東京ドーム約18杯分もの土砂(約2180万㎥)を活用し、河岸には近代的な堤防が築かれました。その後、昭和26年から大幅な改修が行われ、その間にも大きな台風や記録級の豪雨が何度か襲いましたが、荒川放水路区域の決壊は一度も起こっていません。

“江東区らしい”景観の象徴である内部河川

一方で内部河川についても昭和46年(1971)から昭和53年(1978)にかけて、「江東内部河川整備計画」に基づく大規模な整備が行われました。この計画では江東三角地域を東西で二分し、東側地域にあたる亀戸では平常時の水位を低下させる整備が図られました。これにより現在では、東京スカイツリーの近くに設置された北十間川樋門、小名木川に設置されている扇橋閘門の働きによって、亀戸の内部河川は平常時で海抜マイナス1mの水位に保たれています。

内部河川の水位をコントロールしている扇橋閘門

同時に役割を終えた河川の一部は埋め立てや暗渠化され、竪川の上には首都高速7号線が通されました。また、昭和40年代に入ると親水の概念が全国的に浸透し、現在のような内部河川の公園化が進められてきたのです。

「町の中に河川が張り巡らされた景色は、今も昔も変わらない江東区の象徴的な景観です。また、日常ではあまり使いませんが、今もいくつかの場所には船着場があり、災害や道路封鎖が起こった際の備えとして役割を担っています。景観においても防災においても、内部河川は江東区そして亀戸の町に欠かせない存在です」(小張さん)

横十間川

小張さんの丁寧な説明で内部河川の詳しい歴史が分かりました。最後に、カメイドタートルズ読者の皆さんに向けて中川船番所資料館のPRをお願いします!

「現在は臨時休館中ですが、再開後から7月19日まで『江戸のパワースポット《亀戸》』という企画展を予定しております。当館の収蔵品の中から絵図や絵画など亀戸にまつわるものだけをセレクトして、『信仰と行楽の地』として多くの人に親しまれてきた町の歴史をご紹介します。亀戸からもバスや自転車で来ていただける距離の場所にありますので、再び開館した際にはぜひ起こしください」

江戸時代の亀戸を「水運の町」に発展させ、今は市民の憩いの場所として親しまれる内部河川。もし、この記事を読んで興味を持ったら、中川船番所資料館でさらに深い歴史に浸ってみるのもいいだろう。

【DATA】
江東区中川船番所資料館
所在地:東京都江東区大島9-1-15
電話番号:03-3636-9091
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜(ただし祝日の場合は翌日休館)、年末年始、その他に臨時休館日あり
観覧料金:一般(高校生以上)200円、小・中学生50円
※6月1日より、新型コロナウイルス感染拡大防止対策を講じた上で、一部施設の利用を再開中。ご来館の際は公式HPにて詳細をお確かめください。

Edit by カメイドタートルズ編集部