亀戸天神社は東京を代表するパワースポットとして知られています。
老若男女問わず多くの方がこちらの神社を参拝しますが、なんといってもこの亀戸天神社の「天神さま」といえば…
「学問の神」菅原道真(すがわらのみちざね)公。
一般的に「天神さま」「天神社」「天満宮」と呼ばれる神社は菅原道真公を祀っているとされ、菅原道真公を祭神とする神社は日本全国に10,000社以上あるそうです。
菅原道真公が「学問の神さま」とされていることから、受験を控えた多くの学生が全国の天神社(天満宮)を参拝します。
ここ、亀戸天神社にも多くの学生たちの願いごとが書かれた絵馬が奉納されているんですね!
目次
「学問の神」菅原道真公という人物
それにしても人気のある菅原道真公ですが、一体、どんな人物だったのでしょうか。
調べたところ、菅原道真公は平安時代に活躍した貴族・政治家・学者ということがわかりました。醍醐天皇の時代には右大臣まで出世した人物ですが、その才能を恐れた左大臣たちにハメられ、濡れ衣を着させられたあげく罪人となり左遷されたそうです。
左遷された道真公は九州の筑前国(現在の福岡県福岡市あたり)にある太宰府という地方行政機関で謹慎し、そのまま都(京都)に戻ることなく生涯を遂げました。
そんな菅原道真公と縁があるものといえば「梅」や
鷽(ウソ)という鳥
そして牛。
梅、鷽、牛などは菅原道真公と関わりのあるエピソードが現代まで伝えられており、天神社(天満宮)ではこれらのモチーフを菅原道真公にちなむものとして崇拝しています。
ところで、どうして菅原道真公は「天神さま」および「学問の神」としてこれほどまでに崇められるようになったのでしょうか?
平安時代に活躍したとはいえ、最後は田舎に飛ばされて孤独な生涯を送ったはずなのに?
禰宜の大鳥居さんに話を聞いてみた
亀戸天神社の禰宜(ねぎ)である大鳥居さんにお話をお聞きすることができました。
禰宜という神職はわかりやすく説明すると宮司(神社における最高の職位)の次に高い職位なので、とにかくすごい人です。
ちなみに亀戸天神社は緑も多く、ものすごく景観が良いスポットでした。
当記事では大鳥居さんのお話をわかりやすく伝えながら、美しい神社内の様子も写真でレポートしていきます。
そもそも神道における神とはなんなのか?
–そもそも「天神」ってなんですか?
天神とは天の神さまのことですね。
まず、神道(しんとう)の成り立ちから言うと「神」というのは特定の人物のことではありませんでした。祖先の魂とか自然の中にあるものとか、そういうものを「神」としていたんです。「八百万(やおよろず)の神」という言葉がありますが八百万とは膨大な数という意味の例えですので、昔からものすごくたくさんの神さまがいると信じられてきました。
本来は「天神=菅原道真公」というわけではなかったんですね。
–そうなんですか。それではなぜ、菅原道真公は天神となったのでしょうか?
それについてはまず、神は信仰の対象であると同時に畏怖の対象でもあったという理解が必要かと思われます。
道真公が神になった経緯
–神が畏怖の対象ということはどういうことですか
大昔、紀元前の頃から日本の民は多くが農耕民族で自然を相手に生活をしてきました。そんな中で人間の手ではどうしようもないような災害とか自然現象が起こりますよね。人間にとって都合の悪い、不幸な出来事が。そういうことが起きると昔の人は「なにかが怒っている」と感じたのでしょうね。
当時から神という概念があったかどうかはわかりませんが、土地を整えたり、小さな祠をつくって祈ることで「なにものかの怒りを鎮めようとした」わけです。そういう祠みたいなものが少しづつ立派に作られるようになって、ゆくゆく現代にも残るような神社が建てられるようになっていったんですね。
–神が畏怖の対象だったということはわかりました。それでは菅原道真公は?
無実の罪で都を追われた道真公が亡くなられた後、都(京都)では次々と不幸な出来事が起こり始めたんです。
疫病が流行ったり、平安京の清涼殿に雷が落ちたりしたことで道真公の左遷に関わったとされる者たちが次々と亡くなったんですね。当時の人々は「これは道真公の祟りだ」「道真公の怨霊だ」と考えました。つまり菅原道真公は死後、人々から圧倒的な畏怖の対象とされたんです。
–なるほど。自分たちの手に負えない災害が頻発したことで…
はい。「菅原道真公の怒りを鎮めるためにお祀りしましょう」という流れになり、雷を落としたことから「雷神」、「天神」と信じられるようになりました。
道真公が亡くなった場所にお墓をつくり、そのお墓を祀っているのが現在の太宰府天満宮(福岡)。左遷されたまま都に戻れなかった道真公を鎮魂するという意味で祀っているのが北野天満宮(京都)なんです。
祟りの神が、どうして「学問の神」となったのか
–祟りを恐れて祀られた道真公が「学問の神」とされているのはなぜですか?
時が経ち、人々の記憶から道真公の祟りや怨霊のイメージが薄れていきました。
一方で道真公は京都で高名な学者だったことも知られており、左遷後も自分の運命を受け入れて勤めに集中したといわれています。
山の頂上に登って7日間篭りながら、自分を陥れた者たちへの恨みではなく「世の幸せと自分の無実を訴えるために祈り続けた」というエピソードも広まりました。
–立派な人格者なんですね、道真公
そのため「恐ろしい祟りの神」から、少しづつ「ありがたい学問の神」としての信仰へと変わっていったのです。
また、本来は「天神」とは道真公のことだけを指していた言葉ではないのですが、人々にわかりやすく伝えるために「天神とは菅原道真公のことである」という教えが広まり統一されるようになりました。
今となっては「天神」=「菅原道真公」=「学問の神」という考え方が一般的ですね。
亀戸天神社は道真公とどういう関係?
–福岡と京都が道真公と関わりが深い場所であることはわかりました。それでは、それ以外の場所にある天神社は?
例えば「かつて道真公が立ち寄った場所」とか「道真公が座った座敷紐が祀られている」とか、そういうエピソードがあるところに神社が建てられ、道真公が祀られるというケースが多いです。
それを人々が信じて信仰を始めることで神社として成り立つんですね。それぞれの天神社には道真公となにかしらの縁があるはずです。
–なるほど。亀戸天神社と菅原道真公はどういう縁があるのですか?
今から350年前、太宰府天満宮で神主をやっていた方がいました。この方は菅原道真公の子孫なのですが、ある日、神のお告げがあったそうです。
「東の方でも天神さまをお祀りしなさい」と。こういう経緯から太宰府から亀戸の地にも道真公の御神霊(おみたま)を分けていただき、それを祀ったことが亀戸天神社の始まりです。だから亀戸天神社は「東宰府」とか「亀戸天満宮」と呼ばれることがあったわけですね。
神を信仰するということ
–多くの受験生が合格を祈願しに参拝にきます。参拝のマナーみたいなものがあったら教えてください。
「二礼二拍一礼」とかってよく言われますよね。参拝のマナーとか聞かれることは多いんですけど、厳密にはそういう決まりごとはないんですよ。
そもそも神さまに対する信仰って「お賽銭を入れる」とか「お守りを買う」とか「参拝のマナー」だとかそういうことが必ずしも大切ではないんです。
普段の生活における心がまえとか、そういうことが信仰の基本なんです。
–心がまえ、ですか
昔の人は朝起きて、太陽がのぼったら家の外に出て、太陽の方向に向かって挨拶をしていました。その際に自分の願いごとを言うのではなく「今日一日、何事もなく過ごせますように」という想いを込めて祈るんですね。
今でこそ「パワースポット」だとか「幸運を授かる」とかで神社がメディアに取り上げられると、たくさんの方が「願いが叶いますように」とやって来ますよね。そういう信仰を否定するわけではないのですが、本来であれば神さまは願いことを叶えるための存在ではないわけです。
菅原道真公が神として祀られた経緯を考えても、それはわかりますよね。同じ人間だったらどうでしょうか。普段、ろくに挨拶もしないのに都合が良い時だけ会いに来て「願いごとを叶えてください」って言われてどう思いますか?
–思い当たる節がありすぎて心が痛いです。
もちろん、そういう信仰の仕方も「アリ」だと私個人としては思います。神さまを信仰するのに厳密なルールなどありませんからね。
ただ、普段の生活をしながら人間として正しく生きているか、心をちゃんと正せているか。信仰以前に大切なものがありますよね。
–なるほど、だから普段からの心がまえが大切なんですね
そうなんです。普段からしっかり神さまに挨拶ができるような状態に心を置けるか。道を歩いていて神社の前を通るときに頭を下げて挨拶をするとか、そういうことから信仰は始まっていくんです。
「二礼二拍一礼」とか「参道の真ん中は歩かない」とかマナーだとは言われてますけど、それらは言い換えると「神さまのことを敬う態度を常日頃から行えているか」ということです。
–最後に全国の受験生に向けてメッセージをいただけますでしょうか
受験に合格できるかどうか、それは自分の努力次第です。普段からしっかりと勉強をして実力を身につけることが大切で、神頼みで解決するようなことではありません。
ただ、受験に向かって努力をされる皆さまに不幸なことがないように。無事、実力通りの力を発揮できるようにお祈りをすれば、きっと天神さまのご加護はいただけると思います。
–ありがとうございます。心を入れ替えて、正しく生きていきたいと思います。
カメイドタートルズはPVが増えるように神頼みをするのではなく、努力をするメディアでありたいと思います。
まとめ
神さまの話は本来はとても複雑で、色んな時代の背景や歴史を学ばないと完全には理解できない話だろうと思います。
ただ、亀戸天神社の禰宜である大鳥居さんはとてもわかりやすく説明してくださったので、今では神さまのことを身近に感じられます。
悲劇の運命にくじけず、最後まで自分の人生をまっとうした菅原道真公は「学問の神」として祀られるのにふさわしい人物だと思いました。
そんな学問の神様がいる街、亀戸って素敵ですよね!
これから受験に挑む学生の皆さま。「道真公の力を借りる」のではなく「なにごとも不幸がないように」ぜひ、亀戸天神社へとお越しください。
きっと「学問の神」のご加護がいただけると思いますよ。
スポット紹介
スポット名:亀戸天神社(亀戸天満宮)
住所: 〒136-0071 東京都江東区亀戸3丁目6−1
電話番号:03-3681-0010
アクセス:JR総武線「亀戸」駅 徒歩15分
Edit by カメイドタートルズ編集部