たくさんの人々に愛され、惜しまれながらも閉館していった伝説の施設、「サンストリート亀戸」(通称:サンスト)の思い出を振り返るインタビュー記事シリーズ。
前回は元サンスト館長である会田キャプテンから「亀戸にサンストが誕生した理由」についてお聞きしました。
そんな中、突如として現れた謎の男。
サンスト関係者っぽい感じの雰囲気を漂わせる、この男の正体とは!?
はたして、今回はどんな話が聞けるのでしょうか。
サンストの名物スタッフ、藤吉さん
–すみません、あなたは?
(謎の男)
私は、かつてサンストでイベント運営に関わる様々な仕事を担当していた、藤吉というものです。
ブッキング(出演者のキャスティング)からイベント当日のステージ運営(照明、音響)など、ほぼ毎日やっていたんですよ。
ライブ出演者募集のチラシを手作りして、都内のライブハウスを一軒一軒まわりながら配ったり。なんでもやりましたね。
–なるほど、ということは… 色々と詳しいお話が聞けるということですね。インタビューさせてください!
(藤吉さん)
かしこまりました。
サンストは「Perfumeの聖地」って本当?
–そういえば、サンストがファンから「Perfumeの聖地」と呼ばれていますが、これは本当の話なのでしょうか?
(藤吉さん)
はい。サンストでは平日はほぼ毎日、夕方の時間帯に「サンストライブ」という名称でライブを行っていました。アイドルや歌手、芸人さんといった様々なパフォーマー、アーティストの方々に出演していただき、何度か出演する中で、それぞれのファンがつくようになったんです。
Perfumeさんにはインディーズ時代の2003年夏頃から、毎週のようにサンストライブに出演していただいておりました。いわゆる下積み時代に一番多くのステージに立った場所だったことから、Perfumeファンの皆さまからは「サンストはPerfumeの聖地」とされているようです。
テレビ番組にPerfumeが出演された時も、サンストのことを「インディーズ時代の思い出の場所」として語ることもあり、広く認知されていると思いますよ。
–なるほど。サンストが「アイドルの登竜門」と呼ばれるようになったのは、Perfumeがメジャーデビューしたからですか?
(藤吉さん)
どうでしょうかね。私たちにとってサンストは「主に音楽系の若手アーティストで、これからメジャーを目指すという領域の方々」を対象に、事前審査を経てステージに立っていただいていた場所、という認識です。アイドルというジャンルには一切、こだわっていませんでした。
ただ、サンストライブを続けていく中で、それこそPerfumeのようなファンがたくさんつくアーティストがメジャーデビューしたこともあり、結果的に全国紙などで「サンストはアイドルの登竜門」というような形で取り上げられることになったのは事実です。
出場者のレベルもどんどん上がっていったので、サンストライブを経て、メジャーデビューするアーティストも数多く誕生しました。
–事前審査、つまりサンストに出演するためにはオーディションに受からないといけなかったのですね。
(藤吉さん)
はい。最初の頃は「やりたい人なら誰でもステージに上げる」ということをしていましたが、やはり施設に見合った演奏レベルというものが必要だとわかったので、オーディションをするようにしました。このオーディション自体もイベントとして行われていたんです。
オーディションには個人で応募してくる方もいらっしゃいましたし、プロダクション(芸能事務所)からの紹介、推薦を経てオーディションを行い、ステージに立っていただくこともありましたね。
「サンストライブ」は明日を夢みる無名のミュージシャンが多数登場する、という主旨の名物企画だったんです。
ライブステージ前にあるサンストの広場には「ファンではない通行人」や「憩う方々」がたくさんいましたので、プロダクションからすると、所属している新人アーティストたちの実力や潜在的スター性を推し量る絶好の場であったのでしょう。
Perfumeって新人の頃からすごかった?
–Perfumeが初めてサンストライブに出演した時、人々の反応はどうでしたか?
(藤吉さん)
2003年当時は広島から上京したばかりの無名の中学生ユニットですから、初めのうちは観客もまばらという印象でした。彼女たちも自筆でチラシを作り、毎回イベント前にサンストの広場や施設のいたるところで配布しながら、お客さんたちに観覧を一生懸命、呼びかけていたことを覚えています。
毎週のようにライブを行って、チラシを配って、CDを手売りして、徐々にファンが増えていきました。そういう努力の甲斐もあり、気がついたらすっかり人気者になってましたね!
–藤吉さんにとってPerfumeは特別な存在でしたか?
(藤吉さん)
正直、特別扱いはしていませんでしたね(笑)
私はサンストで年間600本以上、イベントの運営を任されていました。関わるアーティストの数も多く、私にとってPerfumeはたくさんの新人アーティストの中の一組という感じで。みんなに売れてほしい、みんなに頑張ってほしいという想いでしたね。
もちろん、今も当時と変わらない想いでPerfumeを応援しています!
Perfumeが立ったステージの現在
–そういえば、ステージがあった場所ってどの辺りだったのですか?
(藤吉さん)
えーと、広場の前ですから…
(藤吉さん)
ああ、ちょうどあの辺りです。何かがたくさん、積んである…
–この赤い線で囲んである辺りですか?
(藤吉さん)
そうです。あの辺りにステージがあって、施設全体の真ん中に広場があり、ベンチがありました。そのベンチに座って、お客さんはステージを眺めるんです。
ところでPerfumeの話に終始して、サンスト流のイベント運営についての話がまだ、なにもできてないと思うのですが。
–あっ。
次回予告
サンストはPerfumeの聖地という話はどうやら本当だったようだ。この亀戸の地から世界に向かって羽ばたくアーティストが誕生したことは素直に誇れることであろう。
ところで、「サンストといえばイベント」とまで言われたサンスト流のイベント運営術とは、どんなものだったのか?
ライブだけではなく、様々なイベント運営に携わっていた藤吉さんに改めてお話を伺っていく。
<次回へ続く>
Edit by カメイドタートルズ編集部